教育雑記帳

2013年早生まれ男子のママ。英語教育、理数教育、親の観点から読むビジネス書についてゆるく書いています。

浮世絵と伊藤若冲〜息子が最近ハマっているもの

子どもというのは、全く面白い。

思わぬ方向から何かに興味を示し、ものすごいスピードでハマっていく。

つい先日までロボットにハマり、図書館中のロボット図鑑を眺め、興味を持ったロボットについてはYoutube で動画を探しまくっていた息子。

 

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それが、今は浮世絵にハマっていて、びっくり!

図録や画集を眺めるだけでは飽き足らず、浮世絵を模写してみたり、オリジナル(?)の浮世絵の下絵を描いている。浮世絵グッズ(クリアフォルダやTシャツ)を集め、先生に自分の描いた浮世絵をプレゼントしたり(笑)

 

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↑ 息子の”秘密基地”は浮世絵だらけ(浮世絵好きゴッホも)。左上はカルビーのポテチ袋に印刷された北斎


浮世絵と接点を持ったきっかけは、永谷園のお茶漬けに入っていた「東海道五拾三次」の浮世絵カード。そこから、本物を見てみたい、ということで今年1月に江戸東京博物館の大浮世絵展に行き、図録も欲しいというので、買った。すぐに飽きるだろう、という予想通り、そのまま図録は忘れ去られた(図録は高かったのに、と心で泣いた)。

 

そして、半年が経った1学期の終わり頃、コロナの影響で学校の図書室を使えなくなったため、「朝の読書の時間」は自宅にある本を持ってきて読むことになった。息子は、自分の蔵書(児童書)は、何度も読んで飽きたので持っていくものがない、とボヤキながら家中を探して見つけたのが例の大浮世絵展の図録。

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大判で厚さも3cmを超える重いものを、教科書類と一緒にランドセルに詰め込んで、足元をフラつかせながら登校したが、図録は浮世絵への興味を再び掻き立てたらしい。帰宅すると、自分の模写絵を大量に見せてくれた。

 

浮世絵には、いわゆる”芸術性が高い”ものもあるが、一方で、北斎漫画のふざけた絵や歌川国芳の猫擬人化シリーズ、寄せ絵やガシャドクロなど、面白くて変なモノが大好きな子どもが楽しめる作品もたくさんある。だから、ハマったんだろうな、と思う。

 

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 ↑ 北斎漫画の変顔シリーズ

 

夏休み中は、すみだ北斎美術館にも足を運び、北斎の伝記を読み、たっぷりと北斎の世界を楽しんだ。すみだ北斎美術館では、カルビーとコラボしたという北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の浮世絵が外袋にプリントされたポテトチップスをいただいたが、息子はその袋も丁寧に洗って自分の”秘密基地”に飾っている(笑)

 

2学期になった今も、浮世絵には引き続きハマっているが、浮世絵の画集を見るために立ち寄った書店で発見した伊藤若冲に感動し、そこから日本画の世界に興味が向かい始めた。

ちなみに、若冲は人気が高いため、様々な画集が出ているが、私のオススメは『若冲原寸美術館100% jakuchu!』。収蔵作品は「動植綵絵」30幅のみだが、それでも、原寸で若冲の微細な筆遣いを見て楽しめるのは素晴らしい。美術館で本物を見るのも良いが、作品に思いっきり接近して細かい筆跡を確かめることは、ほぼ不可能。この画集であれば、いつでも好きな時にその筆遣いの細かさを堪能できる。

 

 

 

担任の先生も、浮世絵や日本画が好きな方のようで、教室には先生の個人的な蔵書である酒井芳一の画集を置いてあるらしい。息子はそれをよく眺めているらしく、ある日「風神雷神を知っている?」と聞かれ、一緒に俵屋宗達尾形光琳も合わせた三者三様の「風神雷神」を見比べたりしている。(息子に聞かれるまで、風神雷神屏風図に3種類もあったなんて、知らなかったよ。。。)

 

 「風神雷神図屏風」上から俵屋宗達尾形光琳酒井抱一

 

私自身、浮世絵から伊藤若冲までは学生時代から好きで、それなりに美術展や画集で見知っているが、それ以外は「学生時代に歴史の授業で暗記した名前」でしか記憶にない。息子が興味を持ってくれたお陰で、私も新たな世界を知ることができて楽しいと思う毎日だ。

 

浮世絵に限らずだが、息子を見ていてつくづく思うのは、「子どもには理解できないだろう」「子どもは興味を示さないだろう」という大人の勝手な思い込みは、子どもにとって害毒にしかならない。特にアートや音楽、物語などに接すると、子どもの瑞々しい感性で、それをあるがままに見つめ、受け取り、心を育てているように見えるのだ。

 

また、子どもがある物事にハマって、あっという間にその熱が冷めても、また思わぬキッカケから戻ってきたりするものだな、と感じる。だから、周囲の大人は拙速に子どもが何に情熱を燃やすか、飽きたか、など、判断せずに、子どものペースに付き合う必要があるんだな、と感じる。私が大浮世絵展の図録を「もう飽きただろうから」とさっさとメルカリで売り飛ばしていたら、息子も浮世絵や日本画に目を向けることがなかっただろう(あっても、だいぶ遅くなっただろう)と思う。

 

親を含め周囲の大人は、子どものペースを大切にしながら、些細な心の変化や目の輝きを見逃さず、タイミング良く子どもの世界を広げてあげるサポートに労を惜しんではいけないな、と考える日々。ま、時間と心の余裕がないと、なかなか出来ませんが(汗)